私もこれまで、何度も疑問と不満を抱き、繰り返し当サイトの中でも指摘してきている、武田信玄正室三条夫人の評価の刷新が、これだけ何十年も長い年月が経っているというのに、ほとんど行なわれない理由についての、私の意見です。これだけ昔に比べると、戦国女性達の研究も、大分進んできているというのに。

しかしそれにも関わらず、いまだに武田家の女性達、

特にやはり何と言っても、信玄正室の三条夫人と信玄側室の諏訪御料人についての見方が、現在もなお俗説の域を、ほとんど出ていないレベルに、留まっている理由についてですが。

 

最初は主に三条夫人をこぞって否定的に描くようになった、歴史小説での扱われ方から、更にそれがドラマへと広がり、一気に彼女の高慢で嫉妬深い悪妻イメージが、浸透していってしまいましたが。

しかし、これまでに何回か、そういった三条夫人についての見方を改め、再考を促す転機は、あったはずです。例えば、私もサイトの中で何回か取り上げている、いまだに三条夫人に関しての唯一の実証的伝記の「信玄の妻 円光院三条夫人 新人物往来社」です。

これまで難解だからとかいって、敬遠されがちで、なかなか本格的に取り上げられてこなかったという、当時の著名な戦国大名家の、いまだに現存する追悼文として、極めて貴重だと思われる、三条夫人菩提寺円光院の葬儀追悼文です。

この中で上野晴朗氏は、これを現代語訳してわかりやすく内容について説明し、効果的に利用しておられます。

 

そして様々な総合的考察により、三条夫人のこれまでの、ほとんど具体的根拠なき悪妻説に、かなりの疑問を投げかける内容となっており、全体的に労作だと思います。

また、これまで大きく歪曲されてきたと思われる、三条夫人の実際の人物像についての名誉回復だけではなく、不平不満の主張ばかりに明け暮れ、夫を悩ませ苛立たせる悪妻像とはむしろ反対の、彼女の正室としての積極的な数々の貢献の可能性についても指摘しており、より積極的な三条夫人の再評価となっている内容だと思います。

そして上野晴朗氏といえば、長年の間、武田氏研究の第一線で、常に研究をリードし、これまでにも多大な功績を残している方です。

 

ここではその数々の功績について、逐一挙げられない程ですが。そのほんの一端としては、高野山に奉納された、武田勝頼妻子肖像の謎の解明というものがあります。しかし、このような重鎮の武田氏研究者が執筆した、良心的な内容の良書だと思われるのに。

ですが、この武田信玄正室三条夫人についての伝記だけは、いずれの人々からも、ほとんど注目されず、また正当な評価を受けることもなく、不遇な扱いのまま、絶版になってしまった感じです。

この伝記が出版された九〇年代以降も、相変わらず三条夫人について否定的に書いている一般書及びフィクション作品が、多数でしたし。

 

そしてたまに他の武田氏研究者などが、自著の参考文献の一冊として、この書名を挙げている時がありますが、私からすれば、その内容の中の一体どこに、この書籍の内容が、具体的に活用されているのか、よくわかりません。

ただの武田信玄や三条夫人についての事実確認の時にだけ、たまに利用されることがある印象です。

この三条夫人の伝記中でも、重要な部分を担っている、例の追悼文が全面的に紹介され、なおかつ具体的に言及されている内容のものなど、武田氏研究関連の書籍の中で、これまで一度も目にしたことがありません。

 

しかし私は三条夫人についての見方の、こういう傾向は、けしてこれまでの信玄の妻達についての通説の方が、信憑性が高くて信頼できるものだったからという訳では、ないと思います。

どう考えても、現存している割合が低い、戦国大名家の人物の追悼文記録という貴重性の他にも、およそ同時代史料に事欠くことの多い、戦国女性関連の文献としても、この三条夫人の菩提寺の追悼文は史料的価値が高く、重視されるべきだと思うのに、ここまで長い年月の間、研究者や歴史作家達など大勢の人間達が、揃って黙殺し続けてきた。

 

そしてなぜか、その中身は歴史作家達などの憶測レベルのものでしかないのに、今までずっと三条夫人が、相も変らぬ紋切り型もいい所の悪女・悪妻イメージでしか語られてこなかったのは、やはり大変に不可解・不公平だと思うし、いろいろと納得できないものを感じます。

 

結局、これはこれまでの三条夫人や諏訪御料人についての通説の方が妥当性が高く、具体的根拠や史実などに基づいたものだからというよりも、結局は研究者なども含む、多くの人々の、武田勝頼母子びいきと謀反を起こした武田義信生母になってしまった、三条夫人への偏見が、大きく関係しているからだと思います。

やはりこの母子に肩入れする人々が多く、そしてどうせ謀反を起こすような息子の母である正室など、無能な悪妻に決まっているというような、実際にはほとんど論理的ではない、心理的なものが強く影響しているのでしょう。どうも私には、武田信玄の最愛の女性は武田勝頼の母親の諏訪御料人で、これに対して三条夫人は無能な悪妻、もしくはそこまでいかずとも、所詮形だけの正室でなくては、気が済まないと思う人が多いのではないのかな?と思えます。

 

このように、これまでの三条夫人や諏訪御料人を巡る通説の実際の内容は、おそらく、このように学説などの具体的論理性や史料などに基づいたものではないだけに、始末が悪く、より厄介だと思います。

安易なステレオタイプの適用は、レッテル貼りにも有効ですからね。

また、ひいてはこういった理由が、武田氏研究者間などでも、専ら武田勝頼の母である、諏訪御料人ばかりを、相変わらず武田信玄の妻達の中では、最も注目すべき存在に、してしまいがちなのでしょう。

結果、更にそれが、三条夫人以外には油川夫人など、諏訪御料人だけではなく、他の信玄の妻達の研究自体も、一向に深まらない理由にも、往々にしてなっているのだと考えられます。

 

やはり、私が納得できない、長年の三条夫人と諏訪御料人についての不公平な扱い及び、こんなに長い時が経っているのに、なかなか三条夫人についての積極的な評価の刷新が行なわれない根本的な理由について、何度も何度も考察をしてみても、こういった理由しか見出すことができない印象です。

でも、私からすると、このように、いつまで経ってもかなり理不尽及び不公平に思われる、三条夫人と諏訪御料人に対する世間の扱いがほとんど変わらない理由が、私が考えたような理由が大きいのだとしたら、やはりこうした私の活動自体が、ほとんど無意味なのかもしれませんね。