自著以外の、お奨め書籍紹介です。

「武田信玄 下巻 母と子 上野晴朗 1050円 潮出版社 1987年」

武田信玄研究の第一人者上野晴朗先生執筆の、武田家の女性達入門には絶好の一冊です。

数多い、作家達などによる、適当な想像ではなく、そしてこういう傾向のものも多い、専ら武田勝頼母諏訪御料人にばかり注目したものでもなく、あくまで実証的な武田家の女性達の研究を目指し、また公平な視点と緻密な考察。そして史実と信頼できる各史料に基づいて書かれた、素晴らしい内容です。またその言及している内容も、絵画・衣装・調度・小物など、実に多岐に渡っており、上野晴朗先生の深い学識が偲ばれます。

 

また、女性達の肖像画や遺品が多く掲載されているのも興味深いです。 いまだに、この内容を越える武田家の女性達の本は、発売されていないと思います。 武田家の女性達に関して、特に信玄の妻達に関して、実証性に乏しく、そして具体的でなく漠然とした、観念的な見方の本ばかりがあまりに目立つので。 しばしば、全く信用できない、完全なフィクションの話が史実と混同されて、挿入されていたりする事もありますし。

 

 

悩ましい事に現在、武田家の女性達に関する、実証的・本格的な 研究書等が皆無に近い中、主に小説経由の胡散臭い話が、小説や作家による一般書などによって、数多く 流布しています。

そのような現状の中で、本当にこのような真面目な研究に基づく評伝は、貴重だと思います。

それに、すでにこの頃から三条夫人悪妻説に異論を唱えている、上野先生の卓越した見識にも、注目です。

武田家の女性達に関して、 信用できる・詳しく知る事ができる本が読みたいという方にお奨めです。

 

 

上野先生の武田氏研究における業績は大きく、他の武田信玄関連の書籍でも、参考文献によく上野先生の著作が挙げられている事からもわかります。(三条夫人が美和神社に奉納した赤皮具足は、義信の物だったとか、高野山の持明院に奉納された、勝頼の肖像画の謎などを解明したのも、この方です。)ただ、このように良い内容が多いのに不運な著作が多く、絶版ばかりなのが残念です。(やはり、特に武田家の女性達に関しては、上野先生の著作でしか目にできない情報も多い。)

「信玄の妻―円光院三条夫人 上野晴朗 2548円 新人物往来社 1990年」三条夫人の本格的な研究書・基礎研究で、大変貴重だと思います。前作と同じく、本書でもあくまでも史実に基づき、信頼できる史料を 駆使して 執筆なさっています。 また夫人の実際の人柄を知る上でも大変重要な、 夫人の菩提寺円光院に納められている 、葬儀に際しての快川和尚初め各導師達の追悼の言葉が収録された文書の全文が読めます。

 

戦国の女性で、人柄や日常についてこのような具体的な感じの記録が残っているのは非常に珍しく、さすが武田信玄の正室という感じがします。 元々、この本は大河ドラマ「武田信玄」で三条夫人が悪妻に描かれ、悩んだ円光院ご住職のために、上野晴朗先生が真の三条夫人の姿を追求し、夫人の名誉回復をするために執筆されたそうです。

このドラマで、時代考証を担当した上野晴朗先生も、ドラマの中での、

三条夫人の悪妻としての描かれ方に、頭を抱えてしまわれたとか。

しかし、まずこの書籍中の、円光院の文書が本書以外で全文紹介されたり、真面目に言及されているのを見た事がなく、三条夫人について何か書籍で書かれる時、執筆者側によって、いかに恣意的な情報の選択がされているかもよくわかり、これでは三条夫人の正当な評価など、なかなか望めないのではと思ってしまいます。

 

一般的な各書籍での三条夫人についての書かれ方としては、父・夫・子供達の名前など、本当にごく基本的な最低限の情報しか採用・公開されず、後は執筆者側の適当な、そしてしばしば偏向した憶測によって埋められているのが現状です。評伝とか研究というより、まるで小説のようなものです。 下向先での父の三条公頼の殺害事件に関しても、まず触れられませんし。 当時の関連文献が無視され、現代の作家等の憶測だらけの推論の方が、さも信憑性が高いような扱われ方をする三条夫人を巡る現状は、非常におかしいと思います。 いまだに三条夫人は、無責任な非難に晒され続けています。 三条夫人悪妻説に関して確かな根拠もないのに、主に作家の推測に過ぎないものが、その信憑性についてほとんど満足な検証・考察もされないまま、淀殿や築山殿のような見直しがされ始めないままで無批判に受容されていき、いつしか事実であるかのように捉えられるようになってしまっている現状は、大いに問題があると思います。

 

それにしても、すでに本書が刊行されてから二十年近く経つというのに、このくらいしか、いまだに三条夫人に関して安心・信頼して読める書籍がないというのが、何とも淋しい限りです。

昔と比べ、かなり戦国女性の研究が進んできているというのに、三条夫人に関しては、いまだに数十年前の認識が続いているままなのは、やはり、おかしいと思います。

謀反を起こす息子の母親なんて、きっと悪妻に違いないという偏見に囚われ続け、新しい事実や解釈を発見する労を惜しむ、学者や作家ばかりなのが、つくづく残念です。

それから、私が武田信玄関係の小説について、批判的な事について、「どうせ小説なんだからいいじゃん」と思われる人もいるかもしれませんが。

しかし私は武田家の女性達について、史実と小説の区別、及び史実を積極的に伝えようとする人々が、ほとんど見られない現状から、このようにその隙を縫って、一方的に小説の人物像ばかりが一人歩きしがちな状況を、憂慮している訳です。そして言うまでもなく、その最大の被害者は、三条夫人です。

 

小説の中でも、特に新田次郎の「武田信玄」の中の、信玄の妻達に関する人物設定を、そのまま自作の小説でも使用する作家が多い感じなのも、気になっています。 しかも、そういった傾向は、三条夫人や諏訪御料人に関してだけに、留まらない感じですし。(調査不足か、便乗か、何なのかはわかりませんが。) また、小説に限らず、歴史女性達の評伝で、有名作家達が 、新田次郎が小説の中で付けた女性達の名前や人物設定を、そのまま本名や史実として使用しているケースもあり、これにも呆れました。

だから、およそ作家が書く事が多い、歴史女性に関する本って、特に戦国女性本って、あまり好きじゃないんですよね。

(その中でも特に、武田信玄に関する女性達について書かれた本。

ひどいものでは、井上靖が小説の中で諏訪御料人に付けた名前の、「由布姫」なのに、「夕」なんて、変な当て字を付けて書いていた、武田家の母・娘・嫁達について書いていた某女性作家の、 ある有名歴史出版社から以前に出版されていた本。 更にこれが、大河の「風林火山」便乗本の一つとして、また出版社と題名を変えて、再版されていました。げんなり。

この件くらいは、修正されているのでしょうか?)

 

ほぼ例外なく、三条夫人の扱いが悪いからという事もありますが。

圧倒的に、諏訪御料人が主として扱われる率が高い評伝ばかりの中で、都合上触れられる感じだし。

こういう事から、この種の本は、敬遠するようになりました 。)

例えば某小説では、禰津元直の娘で武田信清の母の、禰津夫人の事を「里美姫」と、名前も人物設定もそのまま使用していました。

実際は、彼女も諏訪御料人と同じくらい、詳細は不明です。

結局、複数の作家達により、このようなある作家の人物設定、イメージの模倣が繰り返し行われていく内に、自ずと小説の人物像に、妙なリアリティーも加わっていくようになるでしょう。

私は、それに頭を痛めている訳です。

やはり、現在に至るまで実証的・本格的な武田家の女性達に関するまとまった研究、そしてそれに基づく評伝がほとんどない事による、大きな弊害だと思います。

そしてそんな状況の中で、唯一と言ってもいい、上野晴朗氏の、武田家の女性達や三条夫人に関する評伝も、絶版になったままという、厳しい現状ですし。

 

このように、三条夫人本人に関しては、紹介する気にならない本ばかりなのですが、周辺人物として、三条夫人の長女の黄梅院の、作家ではなく研究者の評伝があるため、紹介しておきます。

完全におすすめとはいえない内容なのですが、浅井家の女性達に関しての研究をしておられる小和田哲男氏が、一人も作家を選ばず、研究者だけで固めていますし。また、作家の憶測がほとんどである、三条夫人や諏訪御料人などの女性達は含まれておらず、現在の彼女達など、これまでの戦国の女性達に関する、作家達の憶測がしばしば元になっている、通説はあまり当てにならないという見解を示された事に意義があると思い、紹介する事にしました。

「戦国の女性たち 16人の波乱の人生 小和田哲男編 河出書房新社」複数の執筆者による評伝です。この中の一編として、黄梅院の評伝も、収録されています。メジャーな戦国女性がほとんどですが、たまにマイナーな戦国女性も散見されます。

編者の小和田哲男氏のコンセプトとしては、なるべく信用の置ける、研究者による史実に基づいたものをという事です。

これまで史料の乏しい戦国の女性達は、やはり、主に歴史作家達による小説が史実のように伝えられている事が多かったためというような事が、まえがきに書かれています。

 

私も、先に書いた通り、およそ戦国の女性本というのは、作家によって書かれる事が多く、あまり信用できない感じで、どちらかというと敬遠する方なので、このコンセプト自体には賛成なんですが。

作家の憶測ばかりの、三条夫人や諏訪御料人が入っていないのは、当然としても、他の武田家の女性や織田家の生駒氏などの評伝がないのが、印象的でした。(三条夫人の長女黄梅院は、後北条氏の女性という扱いで、執筆も後北条氏の専門家が執筆しています。)武田家では、信玄の母の大井夫人くらいは、入っていてもいいような気がしました。

また、お市の方の評伝はあるのですが、生駒氏など、他の織田家の女性達の評伝がないのが、意外な気がしました。

でも、お市の方の妹のお犬の方なども、龍安寺にある、天正十年の九月に死去した後、それから間もない十月に描かれた、美しい肖像画は残されていますが、本人の生涯はあまり明確ではないし、生駒氏についても多く触れられている、「武功夜話」についても、偽書説もあり、その記述の信憑性については、いまだに議論されているようなので、しかたないのかもしれませんね。意外に織田家の女性でも、信憑性となると弱くなるようですね。

 

 

でも、武田家の女性に関しては、なぜ上野晴朗氏は選ばれなかったのだろうという気がしました。まだ、あの成果でも不十分だと判断されたという事なのでしょうか? それから肝心の内容の方ですが、黄梅院に関しては、婚礼の時などのお付きの人々が判明したくらいで、たいして新事実や新解釈などは見られませんでした。

彼女が母の三条夫人の手許で公家風の教育を受けたというのも、おそらく三条夫人が公家の女性だからという事からの推測かと思われます。

元になっている論文は、以前に読んだ佐藤八郎氏の小論文だと思い当たりました。

 

それから、三条夫人に関する箇所ですが、五人の子供に恵まれ、おそらく比較的円満だったのだろうというように書かれていますが。

しかし、その前の三条夫人は姉が管領細川晴元の正室、妹が本願寺の門主の顕如上人に嫁いだため、山国の田舎大名に嫁いだのをしきりと嘆いていたと伝えられるがという相変わらずの記述に、落胆してしまいました。

三条夫人の娘とはいえ、悲劇の女性として同情される事が多く、そして本書のこの項の主人公の黄梅院の母親なのに、やっぱりこう書かれてしまうんだなという感じで。

黄梅院の母親なのに、このような記述がされているという事は、要するに、本格的に三条夫人の名誉回復をしようというより、この項での黄梅院の母親だから、とりあえずフォローしておこうという意図なのでは?と勘繰りたくなってしまいます。

これまで、あまりにも数多くの武田信玄関係の書籍に失望してきたため、どうしてもこういう風に考えてしまいます。

それから呼称も、なぜ一般的な三条夫人ではなく、あまり聞き慣れない「三条殿」にしたのか、疑問に思いました。

三条夫人にした方が、適切なのではないか?という気がするのですが。

とにかく、この項を読んで、つくづく、三条夫人に関してもっと研究が進む事を、既成の研究者や作家に期待しても、 無駄だという事を思い知りました。 今回は、史実に基づいてとあるし、三条夫人の娘の黄梅院を取り上げているのだからと、三条夫人に関する記述についても、淡い期待をしてしまったのですが、どうやら甘かったようです。